司法書士のおしごと、マンション修繕委員も頑張る

「人に歴史あり」まさに、ドラマのような人生に、遭遇する毎日です。

修繕委員会とは?

私の住んでいるマンション(武蔵野鷹の台ガーデンハウス)は、竣工平成4年ですが、当初から管理組合の機関としては、理事会だけでした。理事は、任期1年、各棟から回り持ちで、8人選出され、運営に必要な案件を協議、決定します。そのとき、どうしても同席する管理会社の担当者の意見が大きな力を持ち、決定に管理会社の意向が反映されることが多くなります。
私は、平成5年入居で、第2期の理事会で理事長に選ばれてしまいました。そこで、提案したのが修繕委員会の創設。1年任期ではなく、常設で、かつ実質の権限はない機関でした。管理会社に対抗し、住民の利益を守るには、必要不可欠と考えたからです。
鉄部塗装などの大きな工事、とくに、約10年おきに予定される大規模修繕工事に際しては、1年任期で入れ替わる理事だけでは、管理会社に対抗できないと考えたからです。
もちろん、そう考えるに至った背景には、前に住んでいた板橋のマンションで、先人の作った営繕委員会に入れてもらい、そこで味わった経験があります。管理会社に対抗して、工事会社の相見積を取るだけでも、一苦労なのは、経験上身に染みていたからです。


創設提案にすぐ賛成してくれたのは、同じ理事仲間の10歳以上年上の方でした。この方のおかげで、今までなんとかやれてきたといってもよく、本当に頼りになる方でした。修繕委員長も快く引き受けてくださり、私が事務局として、他の同志を募ることにしました。


理事会が改選されるたび、修繕委員として出席し、仲間を募ること数年。一人また一人と、仲間が増え、平成15年の第1回大規模修繕工事では、4名の委員が当時の理事会とともに、コンサルタントを選任し、工事会社を選び、工事を遂行しました。ちなみに、管理会社も工事会社として入札してきましたが、見積金額が高く、落選。
もし、相見積に持ち込めず、管理会社の言いなりになっていたら、数千万円高い工事費を払っていたことになりかねませんでした。


先日竣工したばかりの第2回大規模修繕工事が着手されたのは、3年ほど前です。
実は、第1回の大規模修繕工事の終了で、修繕委員会も休眠状態になり、私も、司法書士の受験に邁進したこともあって、理事会はもちろん、年1度の管理組合総会にも、ほとんど出席していませんでした。第1回の工事で、自分の役目は果たした、後は他の人がやってくれれば良いというのが、言い訳でした。
しかし、新たな修繕委員会が立ち上がることもなく、このままでは、管理会社の言いなりになると危機感を募らせていた矢先、なんと管理人から、修繕委員会を立ち上げてほしいとの要請がありました。おもわず、修繕委員会は管理会社の味方ではないですよ、いいんですかと聞き返したほどです。その誘いの真意はわかりません。その管理人の方も、とっくに辞めたし、当時の管理会社の担当者も会社を辞めているからです。
ともかく、修繕委員会の再出発を決意し、新たな委員を募ったところ、前の委員長がすぐ名乗りをあげてくださり、前回の仲間も一人、快諾。もう一人は、マンションから転居していたため、3人で再スタート。すると、すぐ新参加者がありました。なんと、転居してきたばかりの方で、前にマンションで仲間とともに管理会社と戦い、とうとう別の管理会社に替えた経験のある強者でした。なんとも心強いスタートでした。
その後も、顔見知りの人に声をかけたり、すすんで参加してくださる方もいて、まず当初のコンサルタントを決めたときには、総勢9名という大所帯になっていました。
このコンサルタントは、管理会社推薦の2社から選任した会社でしたが、あとで悪評があることが判明したものの真偽はわからずじまい。しかし工事会社の見積まで進んだところで、あまりにも、信頼できない行動が重なったため、悪評の真偽不明のまま、解約交渉に至り、なんとか、大事に至らずに済みました。そこに至るまで、約1年の苦闘があったのですが、その経過はまた次の機会に譲ります。もう少し時間が経たないと、あまり詳細を語るには、差し障りがあるからです。
いずれにせよ、第1回目と同じコンサルタント、工事会社という布陣で第2回大規模修繕工事も無事終了し、次は、十数年後に予定される、第3回大規模修繕事業に向けての準備です。
昨年、前修繕委員長は逝去され、委員会は大きな柱を失ったのですが、前期の理事会から2名の新参加者があり、総勢10名体制で臨むことができそうです。これからどう活動していくかが問題ですが、仲間とともに、模索していきます。その過程は、また当ブログにアップします。

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